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旧字体で気にかかること_続03

前回の続き(編集者へのレポートを兼ねている)


10冊の刊行年は順に1947(昭和22)/1952/1956/1963/1964/1974/1981/1986/1991/1998(平成10)で全て戦後、第8集からは主に新字体(一部旧字)で組まれているが、これも旧字で組み替えることになっている。
当初は一般的な旧字組みで、「間」などは特に変換しない私製の置換テーブルで十分だと思っていた。だが、第6集を組んでいた際に今までとは明らかに文字の使い方が変わってきたのに気付いた。
そこで、第7集までの一部の字種・字体の出現回数を調べた(第1集の「窓/間/並」については字体のみ示した)。


  • 第5集の「並」は「並木/並べる/家並」で、「竝」は「竝行」。
  • 第6集の「豬(本)」は「しし」とルビが振られ、「猪(旧)」は固有名詞「猪苗代湖」。
  • 戦後の出版物ということもあってか、集によっては「瞬/授」などの「ノツ」部を「爪」にした拡張旧字体も散見された。
  • 医学者でもあった著者のこだわりか「唇」は全体にわたって「脣」が使用されていた。
  • 「寝」と「寐」については全体にわたって、使い分けているのであろうことが推測された。
  • 「蕊/蘂/蕋」がそれぞれ用いられていた。漢和辞典では正字は「蕊(草冠4画)」。
  • ともに間違った表記ではないものの、「背振/脊振(山)」・「太宰府/大宰府」の表記が、各集間でバラつきがあった。


第6集以後に正字本字あるいは意味を同じくする別字の使用が目立つ。
前回挙げた歌に出てくる「駄」の場合の点のない「�」は漢和辞典によると「本字」となっている。
第6集のあとがきに

集をまとめるにあたつては、いつものごとく、正漢字を用ゐて原稿を作つたが、現下の印刷情勢は、私の意に添つてくれさうにもない。それで、できる範囲といふことにならう。

と気になる表現がある。
これを組版担当者が拡大解釈してしまったのではないか? という疑問も残るが、著者校正は当然行われたのだろうし……*1 。


全歌集なので全体の使用字体を統一する方向で話は進むと思うのだが……。
「駄」を俗字、「�」を正字とする著者の作品、あの歌がなければ……とも思うが、故人であるだけに悩ましい。


●以下オマケ(090418追記

  • 「冬/豊/鉛」は同一歌集における活字サイズによる相違

*1:私見では各々上の字体を使用すべきは(少なめに見積もって)「間/並/回/廻/厠/兎」程度かと思うが、これでは著者の意向を無視することになってしまう